- 1967年 - 東京競馬場の芝1400mの4歳(現3歳)以上の別定の重賞競走「東京4歳ステークス」として創設。
- 1968年 - 東京競馬場の改修工事及び積雪の影響で中山競馬場のダート1700mで施行。
- 1969年
- 施行距離を芝1600mに変更。
- トキノミノル記念の副称が付く。
- 3着入線のタマモヒビキが失格。
- 1970年 - 積雪の影響でダート1600mで施行。
- 1971年 - 施行距離を現在の芝1800mに変更。
- 1972年 - 流行性のインフルエンザの影響で福島競馬場の芝1800mで順延開催。
- 1978年 - 小島太が騎手として史上初の連覇。
- 1979年 - 中山競馬場の芝1800mで施行。
- 1983年 - 競走名を「共同通信杯4歳ステークス」に変更。
- 1984年 - グレード制施行によりGIIIに格付け。
- 1993年 - 混合競走に指定。
- 1995年 - 南井克巳が騎手として2人目の連覇。
- 1996年 - 特別指定交流競走に指定され、地方馬は2頭まで出走可能となる。
- 1998年 - 積雪の影響でグレード格付け無しのダート1600mで施行
- 2001年
- 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳」から「3歳」に変更。
- 競走名を「共同通信杯」に変更。
- 2003年 - 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝1800mで施行。
- 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIIIに変更。
- 2008年 - 2月10日に施行予定であったが、降雪の影響で東京競馬が中止。代替開催日の翌11日に施行。
- 2009年 - 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は8頭まで出走可能となる。それに伴い、重賞格付け表記をGIIIに戻す。
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出走資格はサラ系3歳(旧4歳)のJRA所属の競走馬、
JRAに認定された地方所属の競走馬(2頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は別定重量で56キロ、
牝馬は54キロを基本とし、
更に日本馬については収得賞金額が2,000万円以上の競走馬は1キロ、
外国調教馬については重賞競走優勝馬の競走馬は1キロの負担が課せられるよう定められている。
2006年の番組改定において、3歳クラシック以前の実績馬の選択肢を増やす目的で、
負担重量の上限が57キロ(牝馬は55キロ)になるように現在の条件に変更された。
総額賞金は8,050万円で
1着賞金4,200万円、2着賞金1,700万円、3着賞金1,100万円、
4着賞金630万円、5着賞金420万円と定められている。
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1967年に4歳(現3歳)の別定の重賞競走東京4歳ステークスとして創設、第1回は東京競馬場の芝1400mで施行された。
しかし翌年には芝1600mに変更されたが、東京競馬場の改修工事と積雪の影響で、中山競馬場のダート1700mで施行され、
1969年にはトキノミノル記念の副称が付けられた。
1970年には再び積雪の影響でダート1600mで施行、
翌年には現在の芝1800mに変更、
1972年には流行性のインフルエンザの影響で開催順延し、福島競馬場の芝1800mで施行された。
1983年からは共同通信社から優勝杯の提供を受けた事を機に共同通信杯4歳ステークスに変更、
1984年のグレード制施行によりGIIIに格付けされた。
1993年には混合競走に指定、1996年には特別指定交流競走に指定、
1998年は3度積雪の影響でグレード格付け無しのダート1600mで施行、
2001年には競走馬の年齢表示の国際基準に変更により現在の「共同通信杯」に名称変更をした。
皐月賞・東京優駿(日本ダービー)といった3歳春のクラシック戦線の前哨戦のひとつとして位置づけられている。
とくに日本ダービーと同じ東京コースで行われる事から、この時点まで東京コースの出走経験が無い競走馬に対し、日本ダービーの前に一度東京コースを経験させておく目的でいくつかある前哨戦の中からこの競走への出走を選択する陣営がある
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